ここはどこですか。私は、誰ですか。








ニ ヒ リ ズ ム の 願 望
A  d e s i r e  of  t h e  n i h i l i s m .


















天井は木で作られていた。木で作られた天井なんて、今までに見たことがなかった。はぼんやりとする意識の中で必死に今の状況を把握しようと辺りを窺った。しかし、体を動かそうとしてもまるで自分の体じゃないように言う事を聞いてくれない。唯一目だけは自由に動いたが、しかし動かし続ければとたんに酷い眩暈が襲ってきた。目の前に広がる木目がゆらゆらと揺れる。仕方なく再び眼を閉じてゆれが収まるのをまった。
待って、待って、待って。随分待って見て、そのゆれが一向に収まらないことには気付いた。痛みを伴うゆれがずっと無くならないわけではない。そう、まるで、体全体がゆれているような――――、。

そう思ったその時、ガチャリ、という音がした。


「………起きたのか」

入ってきたのは酷い隈を持った男だった。斑模様の帽子を目深に被っていて、扉を開けている手には変な模様が書かれていた。はその男を見て内心首をかしげた。この男は誰だ?知り合いでもなければ、見たこともない。そして、同時にあんなところに扉があったのかと思った。

「全身腐りかけだ。無理に動かすとそのまま死ぬぞ」

男が扉から自分の側に近づいてくるのを見て、動かないとわかりつつも体を起そうとすると、男は無表情のままそう言った。その男の言葉には急いで全身の力を抜いた。どうやら腐りかけだという言葉に疑問を持つよりも、死にたくない!と言う思いが勝ったようだ。
男はベッドの横まで歩いてくると無言でのことを見下ろした。は男が自分を見ていることに気付いていたが、必死に目を合わせないようにしていた。
は普通の女の子だった。父が居て、母がいて。兄弟は7歳年の離れた兄がいた。ついこの間小学校を卒業して、ランドセルとは違うバックを持ち、黒いセーラー服を着て浮かれて記念撮影をした。初めての授業や、初めての定期考査。新しい友達。初めての部活動。放課後の寄り道。時にはダルイと感じることもあった。小学校に戻りたいとも思った。でも毎日が充実していた。毎日やることは代わり映えなかったけど、それでも毎日が楽しくてしかたなかった。そんな、普通の少女だったのだ。そんな普通の少女にとって、今自分の横に立っている男は恐怖でしかなかった。眼の下にある隈がその瞳を鋭くさせ、そして一番の恐怖は手に描かれている刺青である。テレビの中でしか見たことがなかったソレを、目の前にいる男は惜しげもなくしかも両手に入れている。
刺青は悪い人が入れるもの。
まだ幼いにはそんな先入観が心を支配していた。

「おい、口を開けろ」
「……?」

見ず知らずの人が近づいてきて恐怖が支配するなか突然そんなことを言われ、言われるままに口をあけると、男はライトを持って口の中を観察してきた。男の喉辺りを見て必死に視線を外していたはそんな男の行動を疑問に持ちながらも素直に従った。すると今度は目の前に指を出されて、左右に動かされた。しかし、その行動に何の意味があるのか分からないはただ戸惑うばかりで一向に指の動きを追う素振りも無い。これでは何の意味も無い、と男はイライラを隠すこともせずに先ほどよりも声を低くして、「見えてるんならちゃんと見ろ」と半ば脅すように言った。その声の低さには反射的にビクッと体を震わせて今度は必死に目の前を動く男の指を追った。
その後も男のわけの判らない行動は続いて、目の前に出す指を2本にしたり3本にしたり、そのたびに「何本だ?」と聞かれたが、か細い声でその数字を言うのが精一杯だった。あまりに小さくて聞きにくかったのかもしれない。たびたび聞き返される事もあり、そのたびに男の眉間にはしわが増えていって、男の謎の行動が終わったときが泣きそうになっていたのは言うまでもないだろう。

「死にたくなかったら手も足も動かすな。指先1本でもだ」

泣きそうになっているなんてお構い無しに、男は無表情のままそう言って、先ほど入ってきた扉の方へと歩き出した。そんな男の後ろ姿には慌てて呼び止めた。さっきまでかすれるようにしか出なかった声とは比べ物にならないぐらいハッキリと。しかし、呼び止めたはいいものの、聞きたいことがたくさんありすぎてその次に繋ぐ言葉が出てこなかった。振りむいた男は相変わらず無表情で、その眼はとても冷たくて、深い闇――― ……。開こうとした唇はその眼をとらえた瞬間から震え始める。恐怖が、体中を包むが、それでもやっぱり、それはとめられない。

「………おかあ、さん、…は?」
「…ここにてめぇの母親は居ねぇよ。
 あんな雪山で、てめぇ一体何してた?そんな格好で、ただの死にたがりか?」

それは、男が一番聞きたかったことだった。吹雪の中勝手に飛び出していき暫くは帰ってこないだろうと思っていたベポは、1時間もしないうちに帰ってきた。その背には出るときには連れていなかった見知らぬ人物が背負われている。今もなお吹雪き続ける雪で、その姿をはっきりととらえるのは難しく、男も、仲間もただただ困惑した。仲間の誰かがそいつは誰だと聞き、何があったんだと口々に言葉を発していく。しかし、当の本人はそんな問いに耳を貸すこともなく荒くなった息のまま男の前まで来て「助けてあげて!」と叫んだ。
差し出されたのはまだ幼い少女だった。しかし少女の格好はとても雪山に居たとは思えないほどの軽装で、むき出しの肌は人間とは思えないほど青白くなっていた。尋常じゃないその色に、男は瞬時に少女がいかに危険な状態であるかを悟った。とりあえず事情を聞くのは後回しにして治療をしたのが、今目の前にいる少女、…だった。ベポを問い詰めても、見つけた時にはもう意識を失寸前だったという。となれば事情はに聞くしかなく、眼が覚めたら居の一番に問い詰めようと思っていたのに、目の前の少女は今にも泣き出しそうで、なけなしの良心が、後回しにしようと囁いた。しかし、部屋を出ようとした自分を止めた少女が発した情けない言葉にそんな良心はいとも簡単に崩れ去り、気付いたらそう口走っていたのだ。

しかし、そんな僅かな怒りがこもった男の問いかけは、には何を言っているのか、聞えているのに理解することが出来ていなかった。母親が居ないという言葉だけが耳に残った。

(居ない。お母さんは、居ない。じゃあやっぱり…、アレは…)

視界がゆらゆらと揺れる。鼻の奥がツーンとして、呼吸が上手くできない。ハァ…と短い呼吸が漏れて、重力に従って、目の横を涙が零れ落ちていく。涙が止まらない。
本当は、ここはどこなのか、あなたは誰なのか、あの雪は何だったのか。少なくとも呼び止めたその時は、そんなことを聞こうと思っていたのに、気付いたら胸の中は母親のことでいっぱいになる。

「おかあさん…に、…会いだい……」

今すぐ会いたい。今すぐ抱きつきたい。大丈夫よ、って。そう言って頭を撫でて欲しい。
誰かこれが夢だって言ってよ。お母さんに言うんだ。アスファルトの地面もコンクリートの建物も道路を走る車も全部なくなって、行き成り雪山放り出されちゃったんだって。そんな変な夢を見たんだ、って笑って言うんだ。笑って…、

笑って……、

…これが夢じゃなかったら、なんだっていうの。


ぽろぽろと大粒の涙が頬を伝っていく。扉の前まで歩いてきていた男は、母親を呼びながら泣き続けるを見て、ベッドの横まで戻ってくると、涙で濡れる目元を手で覆った。

「…もう寝ろ。」

その声は相変わらずぶっきらぼうだったが、決して冷たくはなくて。目元を覆った手はすぐに離れて行ってしまったが、少しだけ落ち着いたは、扉に手をかけた男を再度呼び止めた。

「ここは……どこなんですか…?」

そう聞いた声は涙声だったが、聞き取るには十分で。男の言葉通り、もうすでにまどろみかけていたに、男は冷たくて真っ暗な瞳をこちらに向けて静かにそう言った。



「ここは、海賊船だ」


















top │ next >>


title by [ Rachael(レイチェル) ]
2010.05.19