それが彼女のやり方ならば、オレは気づかないふりをする。
ニ ヒ リ ズ ム の 願 望
A d e s i r e of t h e n i h i l i s m .
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「おーい!皿洗いはもういいからこっちきて手伝ってくれ!」 「あ、…はい!」 ドクターさんが船長さんと私はもう一度話すべきだと言ったあの日から何日もたって、私の体はもうすっかり元と同じぐらいに動くようになっていた。半ばむりやりな感じで行われた話し合いは、意味がなかったように見えて結構大きな進歩を見せていた。 1つは、相手が信じたかどうかは置いておいて、わからないなりにも私の事情が船長さん達に伝わったこと。伝えられることは本当に少なく、船長さんが一番気になっていた ”なぜあの雪山に居たのか” ”あの雪山で何をしていたのか” についてはすべて『わからない』という答えだったけれども。(そのせいで船長さんの機嫌は最高に悪かった) そして、もう1つは、あの日のことを知ったこと。意識が失った後自分がどうなったのか。なぜこの船に居るのか。海賊とはなんなのか。 ………そして、これから自分はどうなるのかも。 「これと同じように切ってくれ。全部な」 「………はい」 その量に目を丸くしながら返事を返す。ボールの中には数十個の玉ねぎが皮をむかれた状態で重なり合っていて、分厚い木で出来たまな板の上には先ほどまでコックが切っていた玉ねぎが細切りにされていた。どれぐらいかかるだろうか…と思いながら傍らに置かれたボールの中から玉ねぎを1つ取り出して同じように切りはじめた。 船長さんと話してから、コックさんの手伝いをはじめた。コックさんの名前は、ニルさん、と言うらしい。この仕事のことを紹介してくれたベポが教えてくれた。きっと、ニルさんは私のことをよく思っていない。初めてキッチンに足を踏み入れた時、その鋭い視線に思わず背筋が凍った。ただ目つきが悪いのか、私を睨んでいたのかはわからないけれど、その視線に初日から心が砕けそうだった。 ニルさんは、鮮やかな赤い髪をしている。染めたような汚いものではなくて、透き通るような綺麗なものだ。目つきは獣のように鋭いが、まるでそれを和らげるように鼻の上に絆創膏のような白いテープが貼られている。腕まくりをされた腕には何かのマークのような刺青が入れてあって、火傷のような傷跡がいくつもついていた。大きな手、大きな指。この人からあんな繊細な料理が作られるのかとびっくりしたほどだ。もはや芸術と言ってもいいだろう。 そんなことを思いながら、そのまま一心不乱に玉ねぎを切り続け、半分ほど切り終わった頃だろうか。今までニルさんが何かを炒めている音と私が玉ねぎを切る音しかしなかった厨房に突然話し声が聞こえてきた。その声に思わずニルさんを振り返ると、ニルさんはフライパンをそのまま振りながら、カウンターから見えるキッチンの扉を見つめていた。 最初は遠かった声が、どんどん大きく鮮明に聞こえてくる。 ドタバタとした複数の足音。 ――――ここに、近づいてきている? そう思った途端、バーン!と、派手に扉が開く音がした。 「おーいニルー!例の女の子がお前の手伝いしてるってー?どれよ?」 笑い声交じりに、そう言ったのが確かに聞こえた。口調からでも楽しんでいるのがわかる。私はとっさに、包丁を持ったまま物陰に隠れた。(準備中のキッチンには滅多に人が寄り付かないって言ってたのに!)確かそう言ったのはベポだったけど、でもさっき声を聞いた時のニルさんの顔を見て、それは本当じゃないかと思ったのに。(どうしよう…、見つかったらどうしよう…!嫌だ…怖い、!!) 物陰に隠れながら息をひそめていると身体がガクガクと震えた。ニルさんはなんて言うだろうか。あの人たちの前に私を連れ出すだろうか。…それもそうだ。あの人は私の味方じゃない。あの人たちの仲間なのだから。 ギュッと瞑った目を開いて、こっそりと様子を伺った。あの人たちがこっちを向いたら逃げよう。ニルさんが私を捕まえに来たら逃げよう。あの人たち相手に逃げられるだなんて思ってないけど、…それでも、怖いから、だから、逃げるんだ。 そんな覚悟を決めたのに、見つめる先にいるニルさんは今まで炒めていたものを大きなお皿に盛り付けると、カウンターに寄りかかって声をかけてきた人たちに近づいて行って、予想外の言葉を言った。 「お前ら、キッチンには近づくなっつってんだろ」 「硬いこと言うなよニルー。ちょっと見るだけだろ。別に邪魔してるわけじゃねーし!」 「邪魔だ。存在自体が邪魔だ。お前らが来ただけで鼻がむずむずする。出てけ」 「そりゃないぜニル。お前の鼻は年がら年中だろ。つか、お前あの子は厨房にまで入れてんじゃん」 カウンターによりかかったキャスケット帽を被った人がそう言うと、ニルさんの表情が見るからにめんどくさそうな顔に変わった。 「お前らみたいな奴じゃ役にたたねーからな。しょーがなくだ。」 それはもっともな答えだったし、わかっていたことなのに、どこか悲しくて。身体が鉛のように重くなった。 様子を伺っていた顔をひっこめてまた最初みたいに縮こまった。 その間にもニルさんたちは何やら言い合っていたが、何故だかその言葉たちは耳に入ってこなかった。 「そんなとこで何してんだ。っておい、包丁持ったまま動き回ってんじゃねーよ」 「へっ、あ!…す、すみません…!」 顔を上げればニルさんはすぐそこに立っていて、慌てて立ち上がった。座っていた時から持っていた包丁は未だに私の両手に納まっていて、立ち上がったことによって近くなった包丁の存在にニルさんは若干顔を引きつらせた。それもそのはずだ。包丁の切っ先はニルさんの方を向いているのだから。見ようによっては刺される寸前のような状況。…笑えない。 「さっき頼んだ奴は切り終わったのか?」 「あ、まだ…。あと半分ぐらいです…」 「……ちょっと急いでくれよ。後ちょっとで飯の時間だ」 私の答えにニルさんは表情を曇らせてそういう。壁にかけられた時計を見れば、12時を少しばかり過ぎていた。ニルさんはもう次の料理を作り始めている。私は急いでさっきの場所に戻ってまた玉ねぎを切りはじめた。ちょっと切って、「はぁ」とため息がこぼれる。 さっきよりも、気分が沈んでるのは…なんでだろうか。ニルさんの言葉を、気にすることなんてない。彼が私のことをよく思っていないのなんてわかっていたことだ。ベポに頼まれて、仕方なく私をお手伝いとして置いてくれているのなんて、わかっていたことじゃないか。心の中でそう思っても、やっぱり悲しくて、少しだけ目の前が潤んだ。 すべての人に好かれたいだなんて思ったことない。でも、よく知りもしない人でも、嫌われるのは辛い。道ですれ違った人にすら、嫌な顔をされたら何かしただろうか?って思って気分がちょっと落ち込むことだってある。 親はそれを気にしすぎなんだと言った。でもそう言われてもどうしようもないじゃないか。私だってどうにかしたいと思ってるよ。でも、どうしようも出来ないんだ。 ニルさんに借りた、コックさんの着る白いシャツの袖で浮かんだ涙をぬぐう。大きな深呼吸を何回か繰り返すと、涙はもうそれ以上浮かんでこなかった。 * ニルの手伝いが終わり、部屋に戻るとはベッドの上に倒れこむように横になった。とてもじゃないがご飯を食べる気にはなれなかった。 あの後、ご飯の時間になり、食堂には続々と人が集まってきた。慌てるにニルはいつも通り食堂から見えない厨房の奥の方で作業をしろと命じた。確かにそこは食堂から姿を見るには困難な場所だった。そして、そこから食堂を見ることも。しかし、いくら姿が見えないと言っても、声は隠し切れない。知らない人が自分を訪ねて来てはニルに追い返され、そのたびにはビクリと身体を震わせて、厨房の片隅で一人で縮こまっていた。そんなのが何回も続けば嫌と言うほど精神が削られるだろう。 (いつ…バレたんだろう……内緒って…) 内緒って…言ってくれてた。だから、今日まで誰も気づかなかったのだろう。でも、じゃあ、なんで今日バレたんだろうか。 (部屋…出るのは早いから廊下で会うことはないけど…明日もまた人が来るのかな……) そうだったら嫌だ、と顔を埋めた枕をギュッと握りしめる。もう今日みたいなのは嫌だ。―――でも、そんなこと言えない。自分は、この船に置かせてもらっている身だから…。 (…………) 今でも思い出すのは、あの、底がないように暗い暗い黒い瞳。彼はすごく怒っていた。怒っていたというよりも不機嫌になっていた、と言った方がいいだろう。だから余計に彼を怖いと思ったのかもしれない。思い出すだけで身体が震える。彼がもらした最後のあの一言は、きっと彼の本心ではないから。ドクターとベポに言わされたようなものだった。はたから見ていてもそれだけはよくわかった。だから、決して勘違いしてはいけないのだ。 船に乗せてもらっていても、私は彼らの仲間ではないし、彼も、私を仲間だとは思っていないということを。 「?起きてる?」 ビクッ ノックと共に聞こえた声はこの船に乗ってから毎日顔を会わせているベポの声だった。無意識に浮かんでた涙を急いで拭いで「入っていーよ」と声を出した。少し声が上ずってしまってひやりとした。どうか気づかないでと思いながら、きっとベポなら知らないふりをするだろうと苦笑をもらす。ベポはオボンの上に何かを乗せて入ってきた。 「お疲れ!」 「……うん」 「………ごめんね」 「…何が?」 シュンッとうな垂れるベポにはわけもわからず首をかしげた。するとベポは持っていたオボンをに渡し、ベッドに座るの横にちょこんと座った。 「オレのせいでがニルの手伝いしてるのバレちゃった…」 肩を落としてそう言ったベポの声はとても小さかった。そんなベポを見ているのがいたたまれなくてはすぐに「気にしないで」と笑った。 「いつかバレることだったんだから。それがたまたま今日だっただけだよ」 「でも…」 情けない顔のまま振り向いたベポの表情には 人間みたいだ、と内心笑いながら「大丈夫だよ」と言った。 言ってすぐに『何が大丈夫なんだよ』っと自分でも思った。本当は全然大丈夫なんかじゃない。怖くてたまらないし、出来れば部屋から出たくない。でもそんなこと言えるはずもない。 ベポはそんなの強がりを気づかないふりをした。大丈夫だと言って笑うのは自分を思ってのことだから。なら自分はそれに気づかないふりをするのが一番だろうと。 ベポはようやく情けない顔をしまって、笑顔を浮かべた。そしてに渡したオボンを見やった。それにつられても そういえば、とオボンに視線を向ける。 「…うどん?」 「うん。オレ、食べたことないけど、多分にだと思って持ってきた」 ニコニコと笑うベポに、食欲がないからいらない だなんて言えるはずもなく、は「ありがとう」と受け取った。 白くて細い麺。茶色いスープ。赤と白のかまぼこと鶏肉とネギが中に入っていた。まだ湯気がたっていて膝の上に乗せたオボン越しにも暖かさが伝わってくる。茶碗の傍に置いてあったのは箸ではなくフォークだった。ここには箸もないのだろうか と思いながらもフォークを手にとって白い麺を口に運んだ。 (おいしい……) 日本で食べたのと同じ味だ。そう思った途端、じわりと涙がこみ上げてきた。 ここはグランドラインという海なのだという。世界には5つの海があって、グランドラインというのは他の4つの海とは違う特別な海なんだそうだ。がいた島は、その海の中でも双子岬というグランドラインの始まりから程近いところに位置する島らしい。人どころか村すらない無人島で、上陸中吹雪が止むことは一度もなかったそうだ。 そんな話を船長やドクターから聞いて一番驚いたのはだった。グランドライン?4つの海?双子岬?そんなの聞いたことない。知らない、知らない。あの時は小さい子のようにそれしか言えなかった。船長さんやドクターさんが困っていたのもわかっていたけど、それでもやっぱり知らないと言って泣くしか出来なくて。 この船に残ると決めた。船を降りてどこかの島に住むという選択も出来たのに。それでも、自分でこの船に残りたいと決めたんだ。 はこみ上げてきた涙が流れないように、唇をかみ締めて必死にこらえた。 帰りたい。お母さんに会いたい。ちょっと気を抜けばそんなことばっかりが浮かんできて。でもどうやって帰るかなんてわからない。もしかしたら帰れないかもしれない。そう思うと余計に涙がこみ上げてくる。でも、この船の人はとてもよくしてくれる。ベポは毎日自分に会いに来てくれる。ドクターさんは自分を気にかけてくれる。船長さんは自分のことをよく思っていないのに船を無理やり追い出そうとしない。まだ会ったこともないこの船に乗っているたくさんの船員さん達も、文句も言わずに乗せてくれている。 それだけあれば十分じゃないか。 大丈夫、大丈夫。何も不満なんてない。やっていける。大丈夫。泣き言はもう言わない。自分で決めたんだから。 は、もう一口うどんを口に運んで、隣で自分をじっと見つめるベポににっこりと「おいしい」と笑いかけた。 ベポはそんなの目がわずかに赤いのも、少し声が震えているのも、やっぱり気づいていないふりをして「良かった」と笑った。 title by [ Rachael(レイチェル) ] 2010.05.28 |