朝。今日もニルさんの手伝いをするために部屋を出ようとすると、キャスケット帽を被った人と眼が合った。
次の瞬間には扉を閉めていた。

・・・・・・・・やってしまった。








ニ ヒ リ ズ ム の 願 望
A  d e s i r e  of  t h e  n i h i l i s m .


















やってしまった。ついに会ってしまった。閉めた扉に額を押し付けながらひたすら後悔した。こうならないように無駄に早起きをしていたと言うのに・・・最悪だ。部屋に置いてあった時計を見ると、無駄に早起きした分、20分ほど時間が余っていた。このままギリギリまで部屋に居て、会うかもしれないという恐怖に怯えながら食堂に行くか、それとも、今、この場だけ我慢して、すぐに食堂に駆け込むか・・・。簡単に言えば、大勢か、一人かどっちにするか、だ。そう言われれば答えは決まっているようなものだ。
一気に乾いた喉を潤すように唾を飲み込んで、今度は扉に額ではなく耳を押し付けた。音は、聞こえない。さっきの人はもうどこかへ言ってしまったということなのだろうか。
ゆっくりと扉を開ける。隙間から覗くように廊下を見るが、そこには誰も居なかった。やっぱりもうどこかにいってしまったんだ。良かった。
そう、ほっと息をついたのもつかの間。部屋を出た私を待っていたかのように、キャスケット帽を被った人が扉の向こう側で壁に背を付けて待っていた。

「あ、え。」

どこかに行ってしまったんだろうと思ったのに、そこに居て。眼が合うとにっこりと楽しそうに笑われた。

「やっぱこっちで待ってたの正解だったな」
「・・・、・・・」

どうして。その言い方だと、まるで、私に会いたかった、みたいな。

「いやぁ、会ってみたかったんだよ。何回も会いに行ったんだけどさ、知ってる?」

・・・知ってる。ニルさんの所に昨日も来ていた。でも、なんで?
私の疑問に答えるように彼はやっぱり楽しそうに人差し指を立てて説明しだした。

「吹雪の中ベポが連れて来た謎の女の子!会ったことがあるのはベポとドクターとキャプテンだけ!一向に部屋を出てこない。本当に居るのか?っと思い始めたときにドクターとキャプテンの喧嘩。しかも原因はその謎の女の子とキタ!」

1つ1つを話すたびに動き回っていた彼は、くるりと私を振り返り、にっと笑った。なんとも楽しそうに話す人だ。昨日、私を訪ねてニルさんのところに来た時から思っていたのだが、彼はとてもユニークな人なんだと思う。
ただ、そう思ったとしても、未だに私の緊張が解けることは無いのだけど。

「で、会った女の子はなんてことない普通の女の子だったと。」

まるでそれが残念だと言うように。
困惑していると彼はズイッと顔を近づけた。

「・・・もしかして俺のこと怖い?」

何も言わない私を見て彼は言った。怖いなんて言えるはずもなくただ首を横に何回も振った。すると彼は何かを考えるように顎に手を当て出して、私はただそれを見つめていたが、はっと時間のことを思い出して慌てた。
部屋を出る前は20分前だった。今、あれから何分たった?
ぶわっと焦りからか汗が一気に噴出してくる。ニルさんのあの鋭い目を思い出して、ぶるりと一回体が震えた。
あの眼で睨まれるくらいなら、・・・・この人の方がまだマシ、だ。

「あ、あのっ!あ、あ、たし・・・!じか・・が・・・・あの・・・・ごめんなさい・・・!!」

必死に言葉にしようとするけども、それは途切れてばかりであまりにも伝わらない。キャスケット帽の彼の困惑した顔を見て、体を勢いよく直角に曲げてそこから脱兎のごとく駆け出した。多分、きっと、これからもさっきの人とは何回も会うだろう。また、私に会いに来るかもしれない。その時困るのはきっと私。申し訳なくなって、この間のことを何か言われるんじゃないかとビクビクして、悲しくて、怖くなるのは、私なのに・・・。

キッチンへと続く廊下を走る。シーンと静まりかえっている廊下はなんだか寂しかった。









*









この船の医務室は、実は甲板に続く入り口から近いところにあるのだが、噂の女の子の部屋は船の一番奥にある。ベポが女の子を連れ帰ってきたあの日。治療はその部屋でしたのだが、容態が安定すると、今彼女が寝起きしている部屋へと運ばれたのだ。なぜ、医務室と一番遠いと言ってもいいほど離れているその部屋にしたかと言うと、理由は二つある。
1つは空き部屋がそこにしかなかったというのと(これを理由に入れるなら3つになるが)、極端に人通りが少ないことだ。彼女と一番近くに部屋を持っているサンは、もともと部屋の中で作業することが多く、部屋に篭りがちなところがあった。そして彼は自分の興味のあるもの以外にはとことん無関心で、たとえ、自分の斜め前の部屋に噂の女の子が来たとして気にも留めないだろうと思われたのだ。実際はその通りで、あの女の子が動けるようになったと言われても返事一つで次の話題に移されるほど無関心だった。
そしてもう1つは、彼女のいる部屋の目の前にトイレと洗面台があるってことだ。船員は少なく見積もっても20人はいる。1つのトイレを共同で使うなんて無理があるって話だ。もちろん、トイレだけではなく手洗い場と風呂も同様の理由でいくつか設置されている。彼女のために部屋の配置を変えたわけではない。(まず構造上出来ない)でも、船に乗った当初、起き上がるのさえ困難だった彼女を気遣うことは誰にでも出来る。結局、トイレに行くという1つの動作さえ気を使わせてどうするんだ、というドクターの配慮に誰も反対する者はいないわけで(むしろドクターの単独)彼女の部屋は船の一番奥になったというわけだ。

さて、キャスケットは今、そんなもはや意図的にしか近づけなくなっている噂の女の子の部屋の前に立っていた。

と言っても、つい3分前まで噂の女の子の斜め前の部屋にいるサンを尋ねていたわけで、やましい理由があったわけではない。

サンがこのハートの海賊団に入ってきたのは、もう大分前になる。まだ北の海を旅している時だった。その時は船長と旗挙げ当初からいるドクターと、そしてキャスケットとペンギンしかいなかった。ペンギンはその航海術を見込まれていた。でもキャスケットには別にこれと言って挙げられる特技などなく、なぜ誘われたのかもわからなかった。腕っ節にはそれなりの自信があったが性格はどちらかと言えば短気で、やっぱりそこでもペンギンとの差を感じていた。サンと会った時は丁度、そんなくだらないことをグチグチと考えている時だった。
初めてあいつと会った時は、くそ生意気なガキだと思った。小さな体の癖に態度はでかい。そして口も悪い。でも、言っていることは正論だから頭にくる。
喧嘩というには余りにもお粗末なものだった。キャスケットが一方的に切れていただけだから。でも、それで気が楽になったのは確かだった。
この船に乗って、あんなバカなことを思ったのはその一度きりだ。つまりサンはこの船で唯一、キャスケットの”バカなこと”を知っている人物ってことになる。他の奴らに気を使っているわけではないが、その過ちを知っている分サンといるのは気が楽だった。

その日は倉庫から持ってきた酒を片手にジャックと一緒にサンの部屋を訪れていた。
サンは見た目が10代のように若いが、実は二十歳を当に過ぎているこの船の中でもどちらかというと年長者に入る人物だ。そのせいか酒にはめっぽう強い。ピッチは早く呑む量も半端ではない。キャスケットはそれに付き合いいつも飲みすぎてしまうのだが、一緒に飲んでいたジャックは自分の限界をよく知っている。利己的で現実主義者な彼は、次の日に影響が出るような飲み方を滅多にしない。限界ギリギリまでは陽気なキャスケットに付き合っていたが、その線を越えそうになると確実に飲みすぎているキャスケットを置いて自分の部屋へと帰っていってしまった。ジャックが帰ると言ったと同時にサンは飲んでうっとおしくなったキャスケットを連れ帰れと言っていたが、それをキャスケットが許すはずもなく、結局嫌がるサンを無理やり付き合わせること1時間と少しばかり。そこからキャスケットの記憶はなくなった。
そして次に目を覚ましたのは不機嫌なサンに足蹴にされているところだった。


「・・・・・い・・てぇ・・」
「・・・・・酒瓶抱えて人の部屋で寝るなタコ」

言われて視線を落とすと彼の言うとおり腕の中には赤黒いガラスの瓶が大事そうに埋まっていた。

「・・・よほど好きだったんだなぁ・・・」
「”今までで一番まずい”って言ってたぞ、昨日のお前はな」

まるで赤子でもあやすようによしよしっと酒瓶を撫でていると、気持ち悪いものを見るように顔をしかめたサンがそう言った。ピタリと手が止まる。キャスケットは抱えていた酒瓶を苦々しく見やって、ゆっくりと地面に置くとそれを支えにしながら立ち上がった。ぐーんとその場で大きく伸びをして首を回せばゴキ ゴキと痛々しい音が数回する。

「あ゛〜・・・」
「うるさ。もうすぐ見張りの交代だろ?さっさと行けよ」

デスクの椅子に座ったサンが呆れた顔で言う。

「ん〜・・・とりあえず便所」
「どりあえずってなんだ。そのまま帰れよ」

やっぱりサンは呆れた顔をしてそう言ったが、キャスケットはそのまま部屋を出た。そしてすぐ隣にある扉を開く。洗面所と一体になっているその部屋の、トイレ側の扉を開けた。用を足しながら考えるのは、先ほど部屋を出てきた時にはもういつものように縫い物をし始めていたサンのこと。大体あいつは冷たすぎるんだよな。普通酔いつぶれてる仲間を手加減無しに足蹴になんてするか?つーか床に放置ってどうよ?せめて毛布ぐらいかけてくれてもよくねーか?
そんなことを考えて、いや、でもあのサンがそんなことしたら逆に怖い、と体を振るわせた。結局はそんな冷たい態度がサンには一番合っているのだ。

「でも、明け方から縫い物って・・・・ババアかよってな」

思わず誰もいないのに笑い声がもれてしまった。それをもしサンが聞いていたら確実に先ほどよりも痛い足蹴りが待っていただろうが、寝起きのキャスケットがそれを気にしているわけもなく、暢気にトイレを出ると洗面所で顔を洗い始めた。肌を少しだけ刺激する冷たい水は、まだ冬島の海域を抜け切れていないことをあらわしているようで、寝起きと昨日の酒が手伝ってぽやぽやとしていたキャスケットの頭はしだいに晴れていっていった。横にかけられた真っ白いタオルで顔を拭きながら外に出ると、何かを考えるようにキャスケットの足が止まった。
目線の先にあったのは噂の女の子――の部屋。何の変哲もないただの扉。他に並ぶいくつもの扉と代わり映えはなく、”ここに居る”と知らなければ絶対に気づくことはないだろう。

(そう言えば昨日アレだけ見に行ったのに結局会えなかったなぁ・・・)

もはや自分のもののように先ほど使った真っ白いタオルを首から提げながら思わず彼女の扉の前に立った。顔を洗うときに脱いでいたいつもの帽子はいつの間にか被られていて今日も違和感無くそこに存在している。

(ベポに聞いた時は嘘だと思ったけど・・・あのニルの様子だとマジだよなー)

ニル。赤毛で年中鼻づまりと鼻炎に悩まされてるこの船のコック。あの鼻で作る料理は一流なんだから驚きだ。そんな彼は自分のテリトリーに人が入るのを極端に嫌う人物だった。食堂で戯れるのはなんとか許してくれるが(とても嫌そうな顔をしているが)厨房には誰も入ったことがなかった。大人数の食事を一人で用意するのは大変だろうと船長が雑用を用立ててくれようとしていたが、ニルはそれをいつも断り続けていた。
そんな矢先での出来事。

「あの、ニルが、ねぇ・・・」

どんなすごい奴なんだろうか。と。
会ったこともない少女への関心は強まるばかり。
この扉を開けた先にその少女がいる。開けて見ようか、なんて思い始めたその時、今まで物音1つたてなかった扉がゆっくりと開いた。

「・・・・・・・」
「・・・・・・・」

バタンッ!

「・・・・・・・・・いくらなんでも会った瞬間に閉めることなくね?」

そしてその扉から出てきた人物と目が合うと同時に勢いよく扉は閉まり、またいつもの何の変哲のない扉へと戻った。シーンと静まった廊下に空しく自分の声が響いて、怒りよりもなんだか悲しさの方が出てくる。肩を落としてサンの部屋に戻ろうとした時、(・・・ん?)と何かに気づいたように顔を上げた。

(・・・そう言えば、部屋を出るってことは、ニルの手伝いに行くってことだよな?つーことは・・・ここで待っとけば絶対に出てくる―――?)

浮かんだ考えに名案だ!とでも言いたげにポンっと手を叩き、ってことは見えないところの方がいいよな、とわざわざ扉の繋ぎ側の方へと身を寄せる始末。そんなにしてまで会いたいのかよ、とすぐ近くの部屋の中にいる黒髪の仲間が見ていたならきっと呆れてものも言えなくなるに違いない。
今か今かと壁にもたれながら待っているとそれから5分後、先ほどよりもゆっくりと扉が動き、ほんの少し開いて止まったかと思うとホッと息をつく音がした。
―――ああ、やっと会える!
どんな子なのだろうか。あの船長が何も言わないんだ、絶世の美女、とか。いやいやいや、はたまた船長やジャックと同じように能力者だったり・・・。いやでも、やっぱりニルの雑用をこなす辺りすごく気の強い子とかだったりするんだろうか。
高まる興奮に音を立てないように気をつけた。そして、ゆっくり開いた扉がさらに大きく開き、閉まったと思うと、自分よりも随分小さい女の子が、そこに立っていた。音を立てないように壁から背を離し、その子を見つめる。
彼女は自分たちのようなツナギではなく、ニルのように白い服を着ていた。あの服を持っているのも着ているのもこの船にニルしかいない。彼女が着られるようなサイズはないはずだ。サンが繕い直したのだろうか?などと関係ないことを思っていると、その視線に気づいたように彼女はこちらを振り返った。

「あ、え。」
「・・・・やっぱこっちで待ってたの正解だったな」

自分がまだいることに気づいたらきっと出てこなかっただろう。
やっと見れた噂の女の子に嬉しくてにっこりとキャスケットは笑った。

「いやぁ、会ってみたかったんだよ。何回も会いに行ったんだけどさ、知ってる?」

そう言うとは困惑した顔で小さく頷くのが見えた。
その顔はでもなぜ?と言っているようで、キャスケットは興奮を抑えられず意気揚々と説明しだした。

「吹雪の中ベポが連れて来た謎の女の子!会ったことがあるのはベポとドクターとキャプテンだけ!一向に部屋を出てこない。本当に居るのか?っと思い始めたときにドクターとキャプテンの喧嘩。しかも原因はその謎の女の子とキタ!」

これだけの理由があって会いたいと思わない方が可笑しいだろう。少なくとも、『ニルの雑用をしている』という事実が付け加えられた今、彼女がこの船の船員たちの興味の対象であることは間違いなかった。その中でも一番最初にその対象に会っている。キャスケットは嬉しくて仕方なかった。
しかし、

「で、会った女の子はなんてことない普通の女の子だったと・・・」

そう思わなかったと言われると嘘になる。
落胆とはまた違った。
本当に、普通の女の子だったのだ。「女」とは言わずに「女の子」で、きっと自分よりも随分と幼い。背なんか、この船で一番小さいと思われるサンよりも、もっと小さい。ニルの雑用をしていると聞いて気が強い子なのかと思ったら全然そんなこともなく、おどおどとしていてまだ、ほんの小さな子供、だったのだ。
耐えられるのか、この子に。
安心させるようににっこりと笑っても、それでも体を振るわせる彼女に、

海賊だなんて、耐えられるのか?


自分が怖いか?と聞かれ、すごい勢いで首を横に振る彼女を見て、不安はいっそうに募った。噛み噛みの謝罪を残して走りさっていった少女の背を見つめ、キャスケットは居心地が悪そうに帽子の上から頭をかく。
怖いんじゃないか。怖くて堪らないんだろう?だけど、そんなことも言えなくて、怖くないと嘘をついた。まだ小さな子供が。本当に船に乗せていて大丈夫なのだろうか?

―――と、思っていたその時、横にあった扉が勢いよく開いた。

グハッ!?・・・ッいってぇな!!」
「さっきからうるせーんだよてめぇは!!人の部屋の前で何やってんだ死ね!!」
「だからって懇親の力で扉開けるなよ!!めちゃくちゃ痛かったぞ今の!!?」

そう叫ぶキャスケットの目頭には涙がたまっている。

「知るか。扉の前にいるてめーがわりぃよ」
「なんつー理不尽な・・・・」


思わず扉が直撃した横面をさすりながら呟けば、かっと眼を見開いたサンがこちらを睨みつけ、


「ぶつくさうるせー男だな!さっさと見張りの交代に行け!!!」


理不尽にも、そんなキャスケットの背中に懇親の蹴りをお見舞いして吹っ飛ばしていた。
フンっと鼻息を荒くして部屋に帰っていくサンに、キャスケットは(こんな光景つい最近見たな・・・)と涙ながらに思うのだった。


















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ヒロイン視点とキャスケット視点。なんだか考えていたのとちょっと違うけどまあ良し。思った以上にキャスケット視点が長くなってしまったし、もはやオリキャラなキャスケット…。
今後もオリキャラ祭りになりそうな予感…。

title by [ Rachael(レイチェル) ]
2010.12.12