君の声が聞こえない。
ニ ヒ リ ズ ム の 願 望
A d e s i r e of t h e n i h i l i s m .
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あの日の早朝、見張りをしていたキャスケットは、はるか下の甲板で行われるドクターと少女の掛け合いに当然気づいていた。自分の時とは違い、少し気を許したように滑らかに喋る少女。それが少し面白くないと感じながらも、自分が知らない少女の姿や話が聞こえて少しだけ嬉しいと感じていた。しかし、そんな思いは、ドクターとの掛け合いによって怒りへと変わっていた。 納得いかない。納得いかない! 昼食が終わり交代の船員がやってくると、ドスドスと足音を立てながらあの少女がいるであろうキッチンの厨房にキャスケットは真っ先に向かう。昨日と同じようにキッチンと厨房を分けるカウンターに身を乗り出し拳を叩きつけながら、中にいるニルに叫んだ。 「あの子、居るんだろ!出せ!」 厨房の中にいたニルは突然やってきてそう叫ぶキャスケットに、なんだこいつという目を向ける。 昨日は何やら厨房で働き始めた少女を一目見たいとか言っていたが、今日はどうも様子が違う。・・・まぁ、どうでもいいか。心の中でそう思ったニルは、目の前で騒ぐキャスケットから興味を失ったように視線を外し、今しがたやっていた洗い物に再び手をつけた。 「おい、聞いてんのかニル!」 「・・・・うるせぇな、お前・・・。あいつならいねぇよ」 洗い物をする手は止めずに、至極めんどくさそうにニルは言う。 そんなニルの言葉にキャスケットの怒りのメーターは更に上がり、先ほどよりも大きな声で「いねーわけがねぇだろ!お前のとこにいるのは知ってんだよ!!」と叫んだキャスケットの顔は怒りで真っ赤になっていた。 昨日は厨房で働いていることを認めたくせに、今日になったら知らぬ存ぜぬを通すのかとそう言いたいのだろう。 ニルはそんなキャスケットに、さらに面倒くさそうに溜息をついた。 「だから、今日は休みだ、つってんだろ」 「・・・・・休み?」 「そう休み。わかったらさっさとどっか行け」 シッ シッ とまるで犬でも追い払うように手をふるニルに、キャスケットは思わず怒鳴り返そうかと口を開くが、そんなことしてる場合じゃないとすぐに思いとどまった。自分はニルに絡みに来たわけじゃない。あの子、あの少女に、今朝のアレはなんだったんだ、と問い詰めようとここに来たのだ。居ないのであればもうここには用はない。ここに居ないのだったら部屋にいるだろうと、目の前でムカつく仕草を取るニルに目もくれず、無言でかかとを翻し、来たときと同じようにドスドスと足音を立てながら出口へと向かっていると、ニルよりも高い声が後ろからかかった。 「そっとしとけよ、キャス」 振り向くと、キッチンの端の方にドクターが座っていた。気づかなかった。 言われた言葉にも、何より今朝少女が話していた相手だということにも、どうも納得いかない。今朝、あの子とあんな会話をしといて、よくそんなことが言えるもんだ。苦々しい表情でドクターを見ていると、目が合ったドクターはどこか有無を言わさない笑みを浮かべて、「な。」と念を押してきた。キャスケットはそんなドクターに、チッと小さく舌打ちをして、しぶしぶその言葉の通り引き下がり、彼女の部屋に押し掛けることはしなかった。 * 次の日の昼飯が終わった頃。 ドクターの言い付け通り、少女の元へ向かうことをしなかったキャスケットは昨日と同じようにカウンターに詰め寄り、「今日こそ居んだろうがニル!!出せ!!」と叫んだ。 みんながキッチンを出るのを見計らっていたのだろうか。周りにはニルとキャスケット以外誰もいない。昨日は邪魔をした、ドクターも。 ニルは昨日と変わらず、いや、昨日よりも若干面倒くさそうに溜息をついた。 「だから、いねーっつってんだろ」 「だからってなんだよ!!昨日は休みだったんだろ!!じゃあ今日はなんだよ!!」 この船の中でも群を抜いて短気なキャスケットはさっそく沸点に到達したらしい。面倒くさそうにあしらうニルに、ドンッ!!と力任せにカウンターを殴りつけた。 「物に当たってんじゃねーよガキ」 「うるせぇよ!あの子に話があるつってんだ!!いいからここに出せ!!」 「いねぇもんをどうやって出すんだバーカ」 「ぬわぁんーだーとぉ〜・・・!?」 先ほどカウンターに叩きつけた拳がプルプルと震える。今すぐにでもこの、自分とニルの間に建つカウンターを乗り越えて、あのムカつく横面に拳を叩き込んでやりたい。 しかし、ニルはそんなキャスケットのことなどまるで見えていないかのように洗い物を続けていて、それが更にキャスケットの怒りに火をつけた。 (ダメだ!今度こそ我慢ならねぇ!!こいついっぺんぶっ飛ばしていいだろ!!なぁ!!) まるで誰かに確認でもするようにそんなことを考えて、怒りに身を任せてカウンターに足をかけたその時、キッチンの扉が勢いよく開いた。 「やーっぱりここかよキャス!」 「・・・・・・・なんだよ、ペンギン」 飛び込んできたのは青い帽子を被った船員だった。帽子の正面には名前と同じくPENGINと書かれている。 呼ばれたキャスケットはカウンターに足をかけたままペンギンの方を不機嫌そうに振り返った。 僅かに息を切らしているペンギンは、そんなキャスケットを見てキッチンのドアを開け放したまま深い溜息をついた。 「なんだよじゃねーだろ。キャス、お前これから見張りだろ。サンが見張り台の上から怒鳴ってんぞ」 「あ・・・・(やっべー・・・忘れてた・・・)」 「早く行けよ。お前のせいで俺だってパシられてんだからな・・・」 ジトーと目を細めて見てくるペンギンに、キャスケットはニルとペンギンを数回見比べて、グッと怒りを抑え込みドスドスと足音を立てながらキッチンを出て行った。 今頃もきっと見張り台の上でイライラしながら叫んでいるであろう年齢詐欺師にペンギンもキャスケットも頭が上がらないのだ。彼が探してこいと言うなら探さないわけにはいかないし、何かを持ってこいというのなら持ってこないわけにはいかない。そして、その暴君が早く来いとまくし立てている。と。――-一刻も早くそこに行かなければ大変な目に合う。一瞬背筋がゾッとしたキャスケットはキッチンを出ると一気に駆け出した。ヤバイ。怖い。昨日の蹴りの比じゃねーぞ。 ペンギンはすごい勢いで遠ざかっていくキャスケットの背中を見るとまた大きなため息をつきカウンターの中でこちらを訝しんでいるニルに「邪魔したな」とヒラヒラと手を振った。 * あれから、また1日がたった。 「ドクター!」 誰かが言った飯の合図からだいぶ時間が過ぎて、自分と同じく遅い昼飯を取ろうとキッチンの扉を潜っていくその姿をとらえ、キャスケットは思わず名前を叫んだ。 名前を呼ばれたドクターは、今くぐったばかりの食堂の扉から首だけを後ろに引いて廊下を覗き込んだ。 「呼んだか?キャスー?」 「ああ!」 ドスドスと足音を立てながら近づいてくるキャスケットは誰がどう見ても怒っているようにしか見えず、「なんであんな怒ってるんだ?」とドクターは首をかしげる。ドクターと誰かが喧嘩するだなんて珍しい。と、周りの船員も目を見開いた。 ドクターは優しい。そして強い。けど、キャスケットもアレで案外強かったりする。それに、彼は自他ともに認めるほど気が短い。怒りに身を任せてしまえば、あのドクターにさえ手を出しかねない。そんな仲間の心配がわかったのか、ドクターは苦笑して「気にするな」と手を振った。 「おい!もう3日だぞ!?なんとも思わねぇのか!?」 「・・・・うん?」 キャスケットの言葉にドクターは僅かに首をかしげる。 一体自分が何を言っているのか全くわかっていない様子のドクターに、キャスケットはさらに畳みかけた。 「あの子が、部屋にこもって、3日だって言ってんだ!」 昨日もおとといも。居るだろうと思って厨房に行けば休みだと言われ、部屋に行こうとすればドクターに邪魔される。彼女の向かいにいるサンに聞いても「知るか」と言われるだけで、当然飯の合図を出したからといってキッチンに来ることもない。 (飯はちゃんと食ってんのかとか。もしかしたら具合が悪いんじゃねぇかとか。ちょっとは心配にならないのかよ!?) しかし、自分よりも彼女のことを知っているはずのドクターは心配どころか、しれっとした表情で、 「あの子って誰のことだ?」 なんて言った。 その言葉に、キャスケットの頭の中の何かがブチッと切れた。 「・・・おい・・・ドクター、ふざけんなよ・・・」 「お前こそ。あの子なんて抽象的な呼び方じゃわかんねーよ」 さっきとは違い、やけに冷静に怒りを見せるキャスケット。ドクターはそれでも、どこかからかうように笑みを浮かべてひらひらと手を振った。 「いい加減にしろよ・・・ドクター」 「だから、何がだよキャス」 「・・・・・・っどうも思わねぇのか!?心配じゃねぇのかよ!あの時あの会話をしたのは、あんた自身だろ!!」 今までで一番大きな声に、僅かにキッチンに残っていた船員が思わず扉から顔をのぞかせてくる。ドクターはそんな船員に「戻ってろ」とでも言うように手を振り、そしてキッチンの扉が閉まるのを見ると、目の前で鼻息を荒くして怒るキャスケットを真剣な表情で見やった。 「・・・・・・・」 「・・・・普通の、女の子だろ?」 先に口を開いたのは、キャスケットだった。どこか悲しそうに言うキャスケットに、ドクターは一言、「・・・・ああ」 と漏らした。 * 少女が怪我をして自分の部屋を訪ねてきたあの朝。早朝の見張りをしているのがキャスケットだということにドクターはもちろん気づいていた。そして、自分たちの会話をキャスケットが聞いていたのも。情に厚い彼が、そんな自分と彼女に怒りを抱いたのも、気づいていた。 こうやって、いつか怒られるだろうと覚悟していたドクターはキャスケットから視線をそらすようにゆっくり目をつむった。 彼女はそう、普通の女の子だ。父親がいて母親がいて兄弟がいて、何の不自由もなく愛されて育ってきて。きっと危険な目にもあったことなく、戦えるどころか海賊が何かも知らないような、そんな、多分普通よりももっとか弱い女の子。そんな女の子がこの海賊船に残ると決めた。 ・・・あの時、彼女には二つの選択肢があった。それは、彼女の事情を知っても何も言わないローに慌てたベポと自分が出した案だったが、言ったということは本人もそれに了承しているということ。そうは言っても、誰もが彼女は船を降りることを選択するだろうと思っていたのだ。 海は彼女が思っている以上に過酷。海賊というのは彼女が思っている以上に危険。 けれど、彼女は自分でこの船に残ることを選択した。彼女は自分で、海賊になると決意した。 でも、どう思ってそう選択したのかはわからない。 我慢しているのなんてわかっている。最初からわかっていたさ。 家族に会いたいだろうと言ったのだって、まだまだ家族が必要なはずなのに、大丈夫だ寂しくないって自分に言い聞かせていつも涙をこらえてなんでもないように笑って、そんな彼女が、見ていられなかったからだ。 でも、それでもあの子は笑うんだよ。 「ああ、じゃねーだろ・・・!!言いたいことも言えなくて、辛いことも辛いって言えない。怖くてたまんねーはずなのに必死に嘘をつくんだぞ!?あんな、小さな子が・・・!!」 「・・・じゃあ、どうしろってんだよ、シャチ。見てたなら、わかるだろ。アレがあの子の答えなんだよ」 胸倉を掴んでくるキャスケットにドクターはただジッとその眼を見つめた。 泣くかと思った。いや、泣いてもいいと、思った。でもあの子は泣かなかった。頑なに涙を見せなかった。それがあの子の答え。その答えを出されたから、もう何も言えないと思ってしまったのだ。 キャスケットの言う通り、この船での生活は思った以上に堪えていただろう。でも、それでも、必死に悟られないようとするのなら、だったらそっとしといてあげよう、それが、あの子にとって最善だというのなら。そう思って放っておいたのだ。 「放っておくことが、時には慰めにもなるんだ」 「あんたは・・・・、あんたはそうやって辛さを乗り越えたんだろうけどさ・・・!!」 その言葉を理解したキャスケットは、思わず、苦しそうに顔を顰めた。 「あんたみたいに思えるまで、どんだけ時間かかるんだよ・・・!?」 あの日の、少女の話が聞こえていたということは、あの時話したドクターの話も聞こえていたということ。 家族を失った。家族どころか、親戚も友達も、たくさんの者を失った。最初はそれこそ、今のあの子以上に悲しくて寂しくてどうしようもなかった。でも、長い年月をへて、家族みたいに大切だと思える仲間が出来て、家も出来て。 しかし、そう思えるようになるまで、キャスケットの言う通り、はるかに長い時間がかかったのは確かなこと。 「なれるまで待てってか?嘘がホントになるのを、待てっていうのか?おかしいだろ・・・!」 「そんなことは言ってねぇだろ」 「言ってるようなもんだろ!!放っておくってことは、そういうことだ!!」 ドンッ!とキャスケットはドクターの胸倉を放すと乱暴につき飛ばした。興奮で息が荒くなっている。ドクターは押されるまま後ろに下がり、近くにあった壁に背を預けてうつむいた。 しかし、その時静かに名前を呼ばれた。目の前にいるキャスケットではない。 いつもの明るくまるで子供みたいにはしゃぐ声とは違って、何か思いつめていて、今にも泣き出しそうな声だった。 「・・・ベポ?」 目を丸くして名前を呼ぶドクターに、キャスケットも不機嫌な顔のまま後ろを振りかえった。 「・・・どうしたんだ、お前」 手には、最近ではずいぶん見慣れた茶色いオボンがあり、その上にはベポが食べるにしては少ない量のご飯が乗せられている。しかし、そのどれも全く手がつけられた様子はない。 「・・・・・萩、部屋から出てこない・・・。もう3日もだよ・・・?ご飯持っていっても食欲ないって・・・食べてくれないんだ・・・。」 言っていくうちにどんどんベポは涙ぐんでいく。ドクターは心配そうに顔を歪め、キャスケットはそんなベポの言葉により一層不機嫌そうに顔を顰めた。 「オレ、気づいてた、こないだ・・・萩無理して笑ってたの。でも、気づかないふりするのが、萩のためだって思って・・・っ!!」 「ベポ・・・」 「オレ、助けてあげようって・・・!萩のこと・・・、ホントに大事だって・・・・!!」 思ってるはずなのに、どうしたらいいかわからないんだ。 まるで人間の子供のようにポロポロと涙を見せながら泣くベポに、ドクターはその肩を慰めるようにさすった。 ベポは、きっとこの船で一番純粋で一番優しい。そんなベポが、雪山で拾って来た萩のことをとても気にかけて大事にしていることなんてこの船の誰もが知っている。その想いに、裏も表もないことも。 ただ、だからこそ、キャスケットはそんなベポの態度が気になって仕方なかった。 「・・・納得いかねぇな・・・」 泣いていたベポと、それを慰めていたドクター。 2人は同時に顔を上げる。 先ほどよりも憤慨したキャスケットが顔をしかめてそこに立っていた。 「お前ら二人・・・何なんだよ・・・。可笑しいだろ・・・。このままで良いわけねぇ・・・あの子がこの船に残るって決めたなら、そうしたらいいよ。海が危険だって、海賊が危険だって、それでもあの子が自分で決めたことだ。・・・ッでも、このままあの子にずっと”ふり”を続けさせるのか?どう見たって平気そうに見えないのに平気だって言わせるのか?そうやって、見てみないふりするのが、本当にあの子のためなのかよ!?」 興奮して肩で息をするキャスケットは、呆然とするドクターとベポを見て怒りを抑えるように「はぁー」と大きなため息をついた。 「・・・・あの子、まだ、子供だぞ?放って置くことがいい訳ねーだろ、手ぇ貸してやれよ、あの子のこと、一番知ってる二人がそんなんじゃ・・・、あの子いつまでたっても泣けねぇだろうが!!」 そう言い残すと、キャスケットは足早にその場を後にした。 * なぜこんなにも彼女のことが気になるのか。そんなこと聞かれて一番困るのはキャスケット自身だった。 初めて会ったのはつい3日ほど前である。ただ、気にかけ初めていたのはもっとずっと前だったけれども。 ベポが連れて来た女の子のことを気にしていたのはなにもキャスケットだけではなく、この船に乗っている殆どの船員がそうだった。最初は警戒していた。それはあまりにもいきなりのことだったから。しかし彼女が酷く危険な状態にあることはわかっていたし、ドクターと船長が治療してからも、何日も姿が見えないことにその警戒はしだいに心配へと変わっていっていたのだ。しかし、彼女に会ったことのあるドクターや船長から自分達へ与えられる情報は限りなく少なく、一緒の船に乗っているというのに何も知らない少女への興味と、心配する気持ちだけがただただ大きくなっていた。 だから、そんな彼女がニルの手伝いをしていると聞いた時、すごく驚いたのだ。(なんだ、動けるようになったのか!もう身体の心配はしなくてすむのか!)そうやって会ったこともない彼女のことを思って喜ぶのと同時に、いつの間に、という思いもあった。きっと彼女の身体が動くようになったことなど、あの部屋から出れるようになったことなど、ベポやドクターは自分たちよりもずっと前に知っていたに違いない。知っていて、自分たちには黙っていたのだ。 それが彼女のことを思ってやったことなんだろうというのは嫌でもわかる。でもムカつくかムカつかないかで言ったらそんなの即効で答えは出てしまうだろう。 なぜ、俺たちが彼女に会いたいと思っちゃいけない? なぜ、俺たちが彼女と話してみたいと思っちゃいけない? 不満は募る。だから半ば無理やりに彼女に会いに行ったんだ。でも、そこで見た彼女が、自分の想像とあまりにも違っていた。肩を震わして怯える彼女を見て、だからあいつらは俺たちに会わせなかったんだと、ただただ納得した。 ここは仮にも海賊船。この船に乗っている船員にもそれぞれいろんな事情があって、でも、それぞれに目指す夢がある。世間が認識している海賊船とは少しだけ違うだろうが、しかし、夢を目指しているからと言って戦闘が免れるわけもなく、これまでにも幾度となく死線をくぐってきた。海軍に会えば問答無用で捕まり、街に出れば冷たい視線を向けられることなど日常茶飯事だ。 そんなのあんな小さな子に耐えれるわけがない。そう思った。 どうしたもんか、と、船の見張り台に上り無限に広がる水平線を見つめながらそんなことを思っている時、噂の彼女がなぜかドクターと一緒に出てきて、なぜだか慌てて身を隠してしまった。会話の全てが聴こえたわけではないが、早朝の静けさはやはりよく声を通す。 ドクターの投げかけと、彼女の答え。 小さな子が見せる、あまりにも大人びた表情は、ただただ痛々しかった。 なぜそんなにも我慢をするのだろうか。自分が彼女ぐらいの時はもっと自分の感情に素直だったように思う。部屋に会いに行ったときも、嘘をつく必要のないところまで嘘をついて。彼女はひたすらに自分の感情を隠す。 それがどんなに辛いことか、誰だってわかるだろう。彼女と関わったことのない自分でさえ、どうにかしたいと思うのに、彼女を一番気に掛けているはずのドクターやベポがあまりにも消極的で、なんだか無性に苛々した。 きっと、俺たちがいくら耳を澄ましたって、彼女の声が聞こえることはないんだと思う。 でも、だからこそ聞かなくてはいけない。 それが、―――無理やりになろうとも。 上がった息を整えて、キャスケットはゴクリと生唾を飲み込んだ。 そして、あの日はただ立っているだけだった目の前の扉にゆっくりと手を伸ばした。 title by [ Rachael(レイチェル) ] 2010.12.29 |